【新幹線ビフォー・アフター】八戸駅の場合
新青森駅の変化を見ると、次に見たくなるのは北海道のあの駅…となるところ、そこはガマンして別の駅を取り上げます。
新青森まで伸びるまでの8年間、東北新幹線の北の終点駅だった八戸駅です。
八戸駅の基礎知識
まずこの駅がユニークなのは、「八戸」を名乗っていながら、八戸市の中心部からはかなり離れていることです。
八戸駅から分岐する、JR八戸線の「本八戸」がむしろ中心部には近い位置にあります。
実際に、1971年までは現在の本八戸駅が「八戸」を名乗っていて、現在の八戸駅は「尻内」という駅名でした。
新幹線が開業した現在でも、八戸駅前は大型の商業施設もなく、コンビニや飲食店がある程度。全国チェーンのビジネスホテルがあるので宿泊で利用する人は多そうですが、「新幹線の駅前」と思ってあてにしていると思わぬ不便を強いられることがあります。
2018年の八戸駅
では、直近で訪れた時(2018年9月)の八戸駅の様子から。
東口駅前広場から見た八戸駅。新幹線開業を機に改築された駅舎に、ホテルメッツが併設されています。
この風景は、2002年から変わっていません。
新幹線改札を入ったところの発車案内。13・14番線が下り、11・12番線が上りです。下りは「東北・北海道新幹線」と書かれてあるのに、上りは単に「新幹線」とだけ書かれてあることに注目。
一方、在来線ホームの駅名標は…
かつての東北本線は、新幹線開業と引き換えにJRから経営分離されて第三セクター「青い森鉄道」になったので、駅名標も青い森鉄道がメインです。
長苗代方面の矢印が緑色なのは、ここがJR八戸線だから。2010年に八戸駅の在来線ホームは青い森鉄道管理に移ったので、ここでは「JRの列車が青い森鉄道の駅に乗り入れる」形になっています。
2010年の八戸駅
2010年12月に新青森まで開業した時の写真です。
先ほどと同じ発車案内板ですが、この当時は下りも単に「新幹線」となっています。八戸において「新幹線」といえば東北新幹線しかなかったので、案内上特に問題はなかったと思われます。
現在は東京から新青森・新函館北斗まで直通する列車は「はやぶさ」ですが、「はやぶさ」運転開始は新青森開業から3カ月後の2011年3月(東日本大震災発生の前週)。この当時は「はやて」ばかりが案内表示に並んでいました。
新幹線新青森開業の前夜、2010年12月3日深夜に撮影。
既に在来線青森方面の発車案内板は「青い森鉄道線」に衣替えしていますが、表示されているのはJRの特急「つがる33号」。
その下に表示された、「東北本線最終列車です。」のフレーズが泣かせます。まさに八戸を発車する「JR東北本線」としての最後の列車でした(本来は、単に青森方面の最終列車であることを意味しているだけだと思いますが…)。
2002年の八戸駅
さらに遡り、ついに新幹線が青森県に達した時の様子です。
基本的に、駅の建物は現在と変わっていません。
新幹線改札を入ったところの発車案内。
11〜14番線があることは現在と一緒ですが、終点なのでどのホームからも東京方面の「はやて」が発車します。
一方、在来線ホームの駅名標は…
北高岩(二戸・盛岡方面)の方向だけが、青い森鉄道を示す青い矢印になっています。
ただ、この時点では在来線ホームもJR東日本の管理なので、駅名標もJRスタイルのデザインです。
なお、この写真は厳密には新幹線開業の前日(2002年11月30日)に撮っています。経営分離より一足早く、駅名標を取り替えた格好です。
1998年の八戸駅
最後に、在来線しか通っていなかった頃の八戸駅の写真を紹介します。
1998年7月19日の八戸駅は、こんな風景でした。
現在ではまったくその面影もない、平屋建ての駅舎です。2000年頃まではこの駅舎だったようです。
八戸駅の補足
先ほど、「2010年に八戸駅在来線ホームは青い森鉄道の管理に移った」という話をしました。
この結果、新幹線と在来線との乗り換えが少々面倒なことになっています。
在来線ホームもJR管理だった頃は、新幹線と在来線のエリアを直結する乗換改札がありました。
しかし、この乗換改札は2010年12月3日限りで閉鎖。写真はその日の模様で。改札機の先に人だかりがしているところに、「東北本線最終列車です」の案内が表示されています。
乗換改札がないということは、八戸駅で新幹線と在来線を乗り換える場合は、一旦それぞれの改札を出て、自由通路を歩き、もう一方の改札を入ることになります。屋内なので雨風に晒されることはありませんが、大きな荷物を抱えているような場合は面倒かもしれません。