【上越新幹線】開業当時の時刻表を見てみると
上越新幹線は、37年前のきょう、1982年11月15日に大宮-新潟間が開業しました。
ちょうどよい機会なので、開業当時の時刻表を引っ張り出してきて、中身を見てみることに。
取り出してきたのは、「国鉄監修 交通公社の時刻表 1982年11月号」です。現在の「JTB時刻表」にあたります。
現物は今でも古書店で時々見掛けることがありますが、最近では復刻版を電子書籍の形で入手することができます。
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表紙の写真は、越後湯沢駅を発車した下り新幹線列車。200系12両編成(E編成)で、一足先(1982年6月23日)に盛岡まで開業した東北新幹線も含めて全列車がこの編成での運転でした。
なお、東北新幹線と開業時期がずれた理由は、高崎-上毛高原間の中山トンネルの工事に時間を要したためです。中山トンネルは、3回の出水事故に見舞われた結果、事故現場を迂回するルート変更を余儀なくされる事態に追い込まれ、なんとか完成に漕ぎ着けたという曰く付きのトンネルです。現在でも、トンネル内で減速しながらカーブする区間があるのが列車内からでも分かります。
表紙には、「上越新幹線開業」とともに、「田沢湖線電化完成」の文字も見えます。東北新幹線の開業によって、東京-秋田間のメインルートとして田沢湖線が脚光を浴び、電化によって新幹線に接続する特急「たざわ」(盛岡-秋田間)の運転が始まりました。このルートが発展解消して、現在の秋田新幹線に至っています。
上越新幹線の開業ダイヤは
それでは、まず上越新幹線のページを見てみましょう。開業時のダイヤはこのようになっています。
すべて大宮-新潟間の運転で(当時は東京-大宮間未開業)、主要駅停車タイプの「あさひ」が11往復、各駅停車タイプの「とき」が10往復の計21往復となっていました。
「あさひ」の停車パターンは3種類あり、大宮-新潟間の所要時間は最も停車駅の少ないパターン(高崎・長岡停車)で1時間45分、表定速度154.0km/h。現在の感覚ではかなり物足りませんが、当時の最高速度は210km/hでした。同様に最高速度210km/hだった東海道新幹線が東京-新大阪間3時間10分運転で表定速度162.8km/hの時代なので、これが標準的な速さだったのです。
ちなみに、現在(2019年3月改正時点)での大宮-新潟間最速列車は下り「とき311号」の1時間14分で、表定速度218.5km/h。上越新幹線の最高速度は240km/hと近年開業した北陸新幹線(最高速度260km/h)よりも低く抑えられていますが、大宮-新潟間ノンストップ運転でこの数字を叩き出しています。
時刻を眺めていて気付くのは、下り大宮発が毎時05分・35分発、上り大宮着が毎時10分・40分着に揃えられていることです。一方で、上野-大宮間の在来線で運転されていた「新幹線リレー号」は、下り大宮着が毎時13分・43分着、上り大宮発が毎時01・31分発で概ね揃えられていたので、下りなら22分、上りなら21分の乗り換え時間が用意されていました。
東北新幹線も同様に、下り大宮発が毎時00分・30分発、上り大宮着が毎時17分・47分着に揃っていて、1本の「新幹線リレー号」が東北新幹線・上越新幹線各1本と接続するパターンが作られていました。
列車の編成は、前述のように全列車が200系12両での運転。グリーン車は7号車、普通車指定席は5〜6・8〜12号車、自由席は1〜4号車で、ビュッフェが9号車。自由席のうち1号車が「禁煙車」となっていました。「喫煙車」ではありません。このあたりが社会情勢の変化を感じさせます。
社会情勢の変化といえば、時刻表に「車内電話」の案内も載っています。9号車の電話室とビュッフェに公衆電話が各1台設置されていて、100円硬貨専用。料金は、列車の走行位置と電話をかける先の地域との組み合わせによって100円当たり30秒〜65秒の変動制でした。一番安い料金帯でも、3分間通話しようとしたら300円が必要なので、かなり割高なサービスだったことが分かります。
上越新幹線に接続する特急体系は
上越新幹線の開業によって、長岡駅や新潟駅で接続する在来線の特急体系も再編されました。
まず、長岡接続の北陸方面。上越線・信越本線経由で上野-金沢間に運転されていた「はくたか」2往復が廃止される代わりに、金沢-新潟間運転の「北越」が2往復増発されて3往復体制に。「雷鳥」「白鳥」と合わせて、上越新幹線と長岡で接続する富山・金沢方面の特急は長岡発8本・長岡着7本となっています。
なお、「はくたか」の列車愛称はこの改正で一旦消滅し、15年後の1997年3月改正で越後湯沢発着・ほくほく線経由の列車として復活。2015年3月改正で北陸新幹線の主要駅停車タイプの列車愛称に出世し、現在に至っています。
一方で新潟接続の羽越本線酒田・秋田方面も、上越線経由で上野-秋田・青森間に運転されていた「いなほ」が1往復を除き新潟発着に変わり(1往復は「鳥海」に愛称変更して存続)、急行格上げで増発。「白鳥」と合わせて、上越新幹線と新潟で接続して秋田とを結ぶ特急が6往復となっています。
「いなほ」はその後も現在まで新潟発着の特急として運転されていますが、「白鳥」の系統分割などを経て7往復となった反面、秋田まで運転されているのは3往復に減っています。
並行在来線の動向は
上越新幹線の開業に合わせて、それまで上野-新潟間を結んでいた在来線特急「とき」は全廃。前述の通り、上越線経由で運転されていた「いなほ」「はくたか」も1往復を残して廃止され、時刻表の上越国境の区間のページはすっかり寂しくなりました。
しかし、その中でも興味深いのは、急行「佐渡」(上野-新潟間)、「よねやま」(上野-直江津間)が定期列車として存続していることです。新幹線上野開業の1985年3月改正でいずれも廃止されたので、新幹線がまだ大宮までしか開業しておらず、かつ、新幹線が停車しない駅の利用客の便宜を図るために最低限の本数を残したものと思われます。
上りの「佐渡2号」は新潟-上野間を4時間51分で走破していて、これは現在の高速バス(池袋-新潟間:5時間12分)と遜色ない速さです。さすがに165系のボックスシートで5時間はキツいですが、リクライニングシート装備の電車で指定席料金だけをとる快速列車として「佐渡」同様のダイヤで走らせれば、高速バスとよい勝負になるような気もします。
当時の状況に話を戻すと、夜行列車はまだまだ元気な時代。上越線経由だけでも、寝台特急「出羽」(上野-秋田間)・「北陸」(上野-金沢間)、寝台急行「天の川」(上野-秋田間)が運転されています。このうち「出羽」のルートは、その後紆余曲折を経て2014年3月改正で「あけぼの」が廃止されるまで長らく寝台特急の運転が続けられました。羽越本線沿線でも酒田や鶴岡といった山形県内の区間は新幹線の恩恵を比較的受けにくく、時間のかかる夜行列車であっても東京直通の需要が根強かったのでしょう。
その他
移行ダイヤ
冒頭に紹介した時刻表の表紙をもう一度見ていただくと、「11月15日ダイヤ改正への移行ダイヤ収録」と書いてあります。
これは何かというと、11月14日までの改正前ダイヤと11月15日からの改正後ダイヤでは時刻や列車番号などが異なる列車について、両日をまたがって走る場合に適用される特別なダイヤです。当時は夜行列車が数多く運転されていたので、付録ページの中では8ページの分量を割いています。
「移行ダイヤ」は時刻表ダイヤ改正号の名物でしたが、夜行列車が減っていくと本文中での注記で足りるようになり、現在は時刻表でわざわざ別ページを立てるほどではなくなっています。ただし、貨物列車を中心に鉄道網は24時間休みなく動いているので、運転現場ではダイヤ改正の度にこのような1日限りの「移行ダイヤ」が作られているはずです。
広告
裏表紙が「興銀のお祭りカレンダー」。これは全国のお祭りの日程を2カ月分(1982年11月号では11〜12月)載せたもので、日本興業銀行(興銀)の広告を兼ねています。
興銀は現在のみずほ銀行で、巻頭の広告の中には、同様にみずほ銀行の前身である富士銀行の広告も偶然載っています。
巻末のページにはホテルの広告がびっしり並んでいますが、その中で熱海後楽園ホテルの広告は、当時巨人軍のエースだった江川卓投手がボールを手にニッコリ笑っているという写真が使われています。当時は巨人入団時にまつわるマイナスイメージがまだ強かった頃で、こういう形の広告起用は珍しかったと思います。
懸賞クイズ
交通公社の時刻表では、ダイヤ改正号の名物として、「日本一周早回り懸賞クイズ」がありました。
1982年11月号の出題は、このようになっています。
■出題
東京駅を11月15日(何時でも可)に出発し、沖縄県を除く、すべての道府県庁所在地駅をめぐって(通過するだけでも可)、最も短い所要時間で、東京駅に戻ってくるコースを考える ■条件 (1)国鉄の鉄道・連絡線を利用する(臨時列車は乗車日に運転されていれば可) (2)経路は自由、同じ駅を何回通っても可 (3)発または着時刻のみ掲載の駅は、発時刻=着時刻とみなす (4)のりかえは、1分以上あれば可 (5)時刻表に掲載されていない列車は利用不可。ただし、次の区間は以下の条件により利用可。 東京-上野間:8分 東京-新宿間:15分 上野-新宿間:25分 新大阪-大阪間:4分 大阪-天王寺間:19分 のりかえ必要時分:のりかえ1回につき5分 (例)新宿着15:00で上野発列車に乗り継ぐ場合、15:00+5分+25分+5分=15:35以降の列車なら利用可 |
今の時代なら、「駅すぱあと」や「ジョルダン乗換案内」などを使って時刻検索すれば手軽に解けそうです。
しかし、そのような便利なものはまったくない時代。ひたすら時刻表をめくっては紙に経路を書き出していく作業の繰り返しという、非常に根気の要るクイズでした。
もし現在の時刻表で同様のクイズを解こうとすれば、これだけ新幹線網が発達しているので、おそらく最短コースの所要時間は短くなっているでしょう。しかし、青森駅のように新幹線開業によって長距離移動のメインルートから外れてしまったところもあります。ルート作成上、札幌への往復のどちらかで新青森駅から青森駅へ寄る行程が必要になり、思わぬ落とし穴ともいえます。
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